年月日 | 出来事 |
---|---|
昭和50年 3月 | 国民健康保険上矢作診療所完成 工事費 180,607,000円 RC造2階延べ床面積 1,410平方メートル |
6月 | 上矢作診療所開所(病床19床) 開設者 上矢作町長 松浦輝一 所長 大島紀玖夫 |
8月 | 糖尿病教室開始 子供のための夜間診療開始 |
10月 | 内科医師赴任 |
昭和51年 4月 | 外科医師 産婦人科医師赴任 内科医師2名 外科医師1名 産婦人科1名 常勤医師4名 体制 |
4月 | 住民検診開始 |
5月 | 一般向けに夜間診療開始 |
昭和52年 4月 | 国民健康保険上矢作病院 上矢作母子健康センター 完成 病院(50床)開院 院長 大島紀玖夫 医師住宅2棟完成 |
7月 | 基準看護、基準寝具承認 |
昭和53年 2月 | 病床60床に増床 |
3月 | 看護婦寮「若鮎寮」(17室)完成 |
4月 | 外科救急病院の委嘱 |
5月 | 通院送迎バス運行開始 |
7月 | 基準給食承認 |
昭和55年 4月 | 神経内科外来診療(非常勤)始まる 57年9月まで |
昭和56年 8月 | 重症者の看護及び重症者の収容承認 |
昭和57年 8月 | 外科救急病院の辞退 |
9月 | 常勤外科医不在となる |
12月 | 脳神経外科外来診療(非常勤)始まる 平成2年12月まで |
昭和58年 3月 | 上矢作町議会に「病院及び歯科診療所運営特別委員会」設置 元年9月まで |
4月 | 職業病科診療(非常勤)始まる |
5月 | 整形外科診療(非常勤)始まる |
7月 | 外科外来診療(非常勤)始まる |
昭和59年 3月 | 人間ドック開始 |
昭和60年 3月 | 住民検診全町実施 |
5月 | 産婦人科閉鎖 |
6月 | 婦人科外来診療(非常勤)始まる |
7月 | 名市大(第2外科)より常勤外科医2名 赴任 |
昭和60年 8月 | 外科救急病院の委嘱 |
昭和61年 5月 | 基準看護1類から特1類1類上げ承認 |
7月 | 名市大(第3内科)から常勤内科医1名赴任 |
昭和61年 8月 | CT導入 放射線科診療始まる |
10月 | 名市大(第3内科)から非常勤内科医派遣 |
昭和63年 7月 | 名市大(第3内科)から常勤内科医1名増員 常勤医5名 |
9月 | 名市大(第2外科)から常勤外科医1名増員 常勤医6名 |
11月 | 循環器外来診療(非常勤)始まる 元年12月 |
12月 | 甲状腺外来診療(非常勤)始まる |
平成元年 6月 | 基準看護特1類から特2類へ1類上げ承認 肛門科外来診療(非常勤)始まる |
平成2年 4月 | 人間ドック新体制で発足 |
平成3年 3月 | 外来診察室改造 |
平成4年 3月 | 若鮎寮 2階改修工事完成 |
4月 | 整形外科診療 週2日に増 |
6月 | 看護部など病院機構改革 |
平成5年 5月 | 週休二日制導入 住民検診(要管理検診)開始 |
11月 | 病棟B棟改修工事完成 個室増室、リカバリー室設置 |
平成6年11月 | 第1回岐阜県国保地域医療学会参加 |
平成7年 1月 | 国保総合保健福祉施設申請 |
5月 | 病院創立20周年式典、シンポジウム開催 |
11月 | 病棟A棟改修工事 完成 |
平成8年 3月 | かみやはぎ地域医療センター開設 |
9月 | 僻地医療支援病院指定 |
12月 | B棟屋根改修工事完成 |
平成9年11月 | 病棟(B棟)改修工事完成 |
平成10年11月 | 病棟(A棟)改修工事完成 |
平成11年 4月 | 丹羽傳院長就任 |
11月 | A棟屋根改修工事完成 |
平成12年 9月 | 上矢作豪雨災害 若鮎寮(看護師寮)浸水被害 |
平成14年 8月 | 病棟、リハビリ室、厨房等改修開始 |
平成15年 1月 | 病棟、リハビリ室、厨房等改修完成 |
4月 | 病棟改修により病床数56床(一般34床、療養22床)に変更 |
平成16年 9月 | 病院AB棟2階改修工事 耐震補強工事完成 |
10月25日 |
恵那市・恵南5か町村により市町村合併 開設者恵那市長となる |